「人の目が気になってしんどい・・・」
その気持ち、よくわかります。
ぼくも人の目が気になって、しんどくなったことがありますから。
人の表情や目を見ると、その人が直接言っているわけじゃないんだけど、自分のことを変な風に言っているような感じがしたり、誹謗中傷しているような感じがしたりするんですよね。で、気持ち(心)が辛くなったり、しんどくなったりする。
他には、一度酷いことを言われた人の顔を見たら、「まな何か言われるかも・・・」って、変に気を使ってしんどくなることもありますよね。
ぼくは、人の目を気にしなくなった今だから言えます。
人の目を気にして生きても、得をすることはありません。
もう1つ。
人間は、人の目を気にせず、楽に生きれるようになれます!
これから、ぼくが “本当の意味” で、人の目を気にせずに生きる感覚を掴んだ体験談を紹介させてもらいます。
松葉杖生活
ぼくは、2017年7月11の早朝に自転車で転倒して大怪我をしました。
頭を打ったことが原因で、転倒前後の記憶がありません。左膝がえぐれる怪我をして、腫れてはひきの繰り返しで、約1ヶ月、松葉杖生活を送りました。この記事を書いている今(転倒してから約3ヶ月経過)でも、リハビリ中でまともに歩くことができません。
そういう状態のときに、ぼくは、次のような経験をしました。
周囲の人からの視線
松葉杖を使っていたときは、足の筋肉が激落ちしてペラペラでした。まったく力が入らないし、膝が腫れているので足を地面に付くこともできません。なので、ものすごく痛々しい姿で歩かざるを得ませんでした。
そんな状態でお店の中を歩いていたら、必ず、何人かいるんです。
「うわ・・・」
と言わんばかりの変な目で見る人が。
怪我で2ヶ月近く不憫な生活をし、メンタルがやられいるときのあの視線は、正直な話、とても辛かったです。
その辛さを例えるなら、涙を流し、えずきながら泣きたいくらいの辛さです。
息子(小学3年生)が、「お父さん大丈夫? 歩ける?」って声をかけてくれていなかったら、完全に心が折れていたかもしれません。
気を遣ってしまう自分
松葉杖を使ってゆっくり歩いていると、周囲の人に気を遣ってしまうんです。
正面から人が歩いてきたら、「避けてあげなければ・・・」と思って進路を譲ったり、エレベーターに乗るのが送れたら「申し訳ない・・・」と思ったり。
他には、怪我をしている足がだるくなり、ベンチに座ろうと思っても、膝が曲がらないから足を投げ出したり、足を伸ばしてベンチに乗せたりしないと座れません。だから、わざと人通りの少ないベンチを探して座っていました。
正直な話、周囲の人の目を気にして精神的エネルギーを使い、更に、まともに動けない体で体力を使うと、しんどくてたまりません。
「心も体も壊れてしまいそうだ・・・」
そんな状態になりました。
転機が訪れる
そんな状態が続いたある日。
普通に歩ける人達に気を遣っていたら、ぼくの精神力と体が持たない。
気を遣わず、我がペースで、我が歩きたい道を歩かなければならない。
そんな気持ちになりました。
で、その通りに歩いたら、気持ちと体がものすごく楽だったんです。
ぼくは、そのとき初めて気がつきました。
気を遣わずに歩いていいんだ。
松葉杖を使って歩くときは、我がペースで、堂々と真ん中を歩いていいんだ。
って。
それでも、変な目で見る人達の視線は気になりました。
だけど、思い切って周囲の目を気にしないようにしてみた。
そうしたら、ビックリ。
気を遣わずに歩くときとは比べものにならないくらい楽な気持ちになりました。
ぼくに視線が突き刺さってはいるのでしょうが、全然気になりません。
そういう視線の存在すら感じない状態になりました。
ぼくは、このとき、
「あぁ、これが人の目を気にしない生き方なのか」
って、感覚でわかりました。
ぼくは、この日以来、一度も人の目(顔色)を気にしながら松葉杖で店の中を歩いていません。それだけでなく、日常生活でも人の目を気にせず生きれるようになりました。
しつこいようですが、人の目が気にならなくなると、生きるのが本当に楽です。
あ、この度の経験で『人の目を気にしない方法』がわかったので、簡単に紹介しますね。
人の目を気にしない2つの方法
1.到達する前に消す
変な目で見る人の顔を見ても、見た瞬間に頭の中へ「変な目で見られている」という思いが発生するわけではありません。
自分の頭の中へ発生するまでには『時間』があります。
周囲に人がいると認識する。
人の顔(目)を見る。
その顔(目)の分析を始める。
変な目で見られていると思う。
こんな感じで、自分の頭の中へ発生するまでには時間があるので、完全に発生する前に、スッと消してしまうんです。これは、つながっている糸を途中でスゥッと消すイメージでやると上手くできます。
2.自問自答して消す
「変な目で見られている・・・」
そういう思いが頭の中へ完全に発生してしまったら、次のような感じで自問自答します。
Q.視線を気にして何とかなる?
A.ならない
Q.得をすることはある?
A.ない
Q.気を遣っても意味ないよね?
A.意味ない
そうすると『人の目を気にしない勇気』が湧いてきます。
勇気が湧いたら、「これは自分の人生なんだ。他人様の目や顔色のための人生じゃない。だから、自分が好きなように生きていいんだ」と自分に言い聞かせる。そして、気にしている思いを自分から切り離す。
上手く切り離せれば、気にしていたのが嘘のように消えて楽になります。
質問は、「変な目で見られている・・・」という思いを解きほぐし、勇気を湧かせるためのものです。1回でほぐれないときは、解きほぐれるまで繰り返してみてください。
方法の1と2も、いきなりは上手くできないと思うけど、何度かトライするとできるようになると思います。ぼくは、「やらなきゃ自分が潰れてしまう」みたいな感じで追い詰められていてたためか、実践したそのときにできました。
さて、記事が長くなってきたので、そろそろ締めに入りたいと思います。
気にしているのは自分
ぼくは、この度の件でわかったことがあります。
周囲の人達は、ぼくに「私の目(顔色)を気にしてください」なんてことは言っていません。人の目を気にしていたのは、ぼくが気にするように思い考えて、自分で勝手に気にしていたのです。
なので、人の目が気になってしんどくなったら、まずは、自分の思考を落ち着いて観察する。そして、自分をしんどくしている思考が見つかったら、それを取り除く作業をする。
そうすれば『人の目を気にせずに生きれる』ということがわかりました。
最後にひとこと
人の目を気にするのは、常識の範囲内では必要です。
だけど、必要以上に気にしなければならない理由なんてありませんし、 気にしたところで、いいことなんて何もありません。
人生は一度きり。
100年後には、あなたも周囲の人もこの世にはいないんです。
せっかく生まれて来たのですから、人の目を気にせず、人生を楽しみましょうね^^